私が産まれ、6歳まで育ったのは、東京都大田区の北糀谷(きたこうじや)。
東京の島を除くほぼ南東端。東京湾や羽田に近く多摩川を越えるともう川崎、
周囲は「下町ロケット」に出てきそうな町工場だらけでした。
今でもある父の実家の家業は、当時、海苔の養殖。
冬場、近所の呑川(のみかわ)に係留していた小船で東京湾に出て、
ドロドロの海苔を採り、乾燥場という家にある作業場で洗って
和紙の様に簾に載せ、それをフスマ程度の大きさの枠に並べて天日干し。
オカズにいつも出てくる生海苔。味噌汁の具も時々海苔…今では贅沢かもね。
大森から川崎を含むこの一帯の海苔採りは、既に過去のものになりました。
当時どこかへ遠出する時は、たいていは歩いて京急かJRの「蒲田」駅から。
駅周辺は昔の面影を更新し近代化したが、今でも何となく昭和の香りが。
画像は、とある法事関係で昨日9/29、北糀谷を訪れた時に撮影。
東京の島を除くほぼ南東端。東京湾や羽田に近く多摩川を越えるともう川崎、
周囲は「下町ロケット」に出てきそうな町工場だらけでした。
今でもある父の実家の家業は、当時、海苔の養殖。
冬場、近所の呑川(のみかわ)に係留していた小船で東京湾に出て、
ドロドロの海苔を採り、乾燥場という家にある作業場で洗って
和紙の様に簾に載せ、それをフスマ程度の大きさの枠に並べて天日干し。
オカズにいつも出てくる生海苔。味噌汁の具も時々海苔…今では贅沢かもね。
大森から川崎を含むこの一帯の海苔採りは、既に過去のものになりました。
当時どこかへ遠出する時は、たいていは歩いて京急かJRの「蒲田」駅から。
駅周辺は昔の面影を更新し近代化したが、今でも何となく昭和の香りが。
画像は、とある法事関係で昨日9/29、北糀谷を訪れた時に撮影。

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